姑息の意味って、“卑怯”だと思っていませんか?
(卑怯な奴に向かって)「姑息な奴だ」
こんな使い方、よく見かけますよね。
でもこれ完全に誤用なんです!
文化庁によると、なんと7割の人が誤用しているらしいですよ。もちろん、私も誤用してました。(^_^;)
それではこの機会に「姑息」の正しい意味と使い方を、しっかり覚えておきましょう。
「姑息」に卑怯な意味はない
姑息とは、「一時しのぎのこと、間に合わせのこと」です。
何のことやらって感じですよね。
でも、どこにも“卑怯”という意味が含まれていません。
姑息[名・形動]〔「礼記」檀弓上 「姑」はしばらく,「息」はやむ意〕根本的に解決するのではなく,一時の間に合わせにする・こと(さま)。〔現代では誤って「卑怯である」という意味に使われることが多い〕
出典:「大辞林 第3版」(平成18年・三省堂)
さらに驚くべきことに、「誤って”卑怯である”という意味に使われることが多い」と辞書に書いてあります。
現代の使い方を完全に否定してますね。
念のため、別の辞書もみてみましょう。
[名・形動]《「姑」はしばらく、「息」は休むの意から》一時の間に合わせにすること。また、そのさま。一時のがれ。その場しのぎ。「姑息な手段をとる」「因循姑息」
[補説]近年、「その場だけの間に合わせ」であることから、「ひきょうなさま、正々堂々と取り組まないさま」の意で用いられることがある。出典:goo辞書:「姑息」の意味
やっぱり同じような内容が書いてあります。
姑息とは、「一時のがれ。その場しのぎ。」であると。
ですから「姑息な手段をとる」とは、正確に訳すと「一時しのぎの手段をとる」という意味。
「姑息な男」といったら、「その場しのぎの男」ということ。なんだか薄っぺらそうな男ですね。
言われた方がどう受け止めるのかは、心配ですけど。(笑)
ちなみに「因循姑息(いんじゅんこそく)」っていう四字熟語があるんですが、古い習慣に頼ってその場をしのごうとする意味らしいです。
やはり、卑怯とか卑劣の意味は含まれてませんね。
しかし、世の中のどのぐらいの人にそれが伝わるのでしょうか?
「姑息」の意味を7割もの人が誤用している
これに関しては文化庁のデータが参考になります。
「姑息な手段」という例文の意味について、平成22年度に調査した結果です。
(ア)「一時しのぎ」という意味・・・・15.0%
(イ)「ひきょうな」という意味・・・・70.9%
(ア)と(イ)の両方・・・・・・・・・・・・・・2.9%
(ア),(イ)とは全く別の意味・・・・2.1%
分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9.2%出典:文化庁 「姑息」の意味
実に70.9%もの人が、「卑怯な」という意味で捉えているではないですか!
これでは「一時しのぎ」の意味を説明しても、誰も聞き入れてくれなそうです。
例えば部下に「そんな姑息な手段じゃダメだぞ〜」といっても本当の意味では伝わらず、パワハラになりそうですね。
ま、そんな無駄な取り組みしませんけど(笑
しかし以外なのは15%もの人が、本当の意味を知っているということ。やっぱり世の中「知っている人は知っている」のですね。
いやいや知っているのは年寄りだけなんじゃ?と思いますよね。そこで、年代別のグラフを見てみましょう。
想像通り・・・年齢が高くなるほど「一時しのぎ」という意味を知っているようです。60歳以上になると20%近くもの人が知っているようですね。
それと同時に「分からない」が増えているんですが、これはやはりボケなのか・・・
20代ぐらいは、87%が「ひきょうな」の意味だと思っているようです。これはアニメやマンガの影響が大きい気がします。
というわけで、いくら一人で「姑息」の本当の意味について頑張ってみても、周りには通じないことが分かりました。
でもなぜ、卑怯なという意味で誤用されるようになったのでしょうか?
「姑息」が誤用されたワケ
先程引用した、goo辞書にその理由が書いてあります。
[補説]近年、「その場だけの間に合わせ」であることから、「ひきょうなさま、正々堂々と取り組まないさま」の意で用いられることがある。
文化庁にもそれらしい話がのっていたので、参考にしてみます。
「姑息なやり方ばかりで,あいつはひきょうなやつだ。」というような言い方は,本来の意味に沿って考えても,全く不自然ではありません。重要なことについて,正面から取り組もうとせずに,「一時の間に合わせ」で済ませることに終始すれば,「ひきょう」と見られるのが当然だからです。
出典:文化庁 「姑息」の意味
なるほど「姑息なやり方ばかりで、あいつはひきょうなやつだ」ってのは、本来の意味にも沿っている表現ですね。
「一時しのぎの間に合わせ」で済まそうとする態度が卑怯であると考えたわけです。
ただし「姑息」=「卑怯」ではないので、そこは注意が必要です。
このように誤用されまくりの「姑息」ですが、そもそもの由来は立派なものでした。
「姑息」の由来とは?
ぱっとみ、「姑」という字からして陰湿な雰囲気がしてきます。
そこに「息」ですよ。
もー私には姑のタメ息しか想像できません( ´Д`)=3ハァ~
と勝手な想像をしてみましたが、ちゃんとした由来はと言うと。
どうやら儒教の「礼記」に載っている故事が由来みたいです。
病床にあった曾子は、身分に合わない立派なすのこを敷いて寝ていました。そのことを童子に指摘されると、曾子は息子にすのこを取り替えるよう言います。
しかし息子は曾子の病状を思い、体調がよくなってからにしましょうと答えます。すると曾子は、
「君子の人を愛するや徳を以てす。細人の人を愛するや姑息を以てす。」
(君子たるものは徳を持って人を愛するが、小人はその場しのぎで人を愛する)
と言い、ようするにお前の愛は童子にも及ばないと伝えました。
このとき曾子の言葉にあった「姑息」に、一時しのぎという意味が与えられということです。
「姑息」は姑のタメ息が由来ではありませんでしたね(笑)
ではそんな立派な言葉、本来どう使うのが正しいのでしょうか?
「姑息」を使った正しい例文集。これが言えれば文化人
如何せん、この時の事勢においてこれを抑制すること能わず、ついに姑息の策に出で、その執政を黜けて一時の人心を慰めたり。
出典:福沢諭吉「旧藩情」
「姑息の策」・・・何も知らずに聞いたらセコそうな策に聞こえますね(笑
「姑息の策」=「一時的な策」という意味ですね。
諸君が姑息の慈善心をもって、些少なりとも、ために御掛酌下さろうかと思う、父母も親類も何にもない。
出典:泉鏡花「革鞄の怪」
「姑息の慈善心」・・・知らずに聞くととてもイヤラシイ慈善心みたいです(笑
「姑息の慈善心」=「一時的な慈善心」という意味ですね。
序言で、ジイドはギリシアの神話までを引用して、姑息な愛の恐るべき害悪を語っている。
出典:宮本百合子「ジイドとそのソヴェト旅行記」
「姑息な愛」・・・セコそうな愛に聞こえてしまってはイケマセン(汗)
「姑息な愛」=「一時的な愛」という意味ですね。
いくつか例文を上げてみました。
「姑息」の本当の意味を知らずに読むと、とんだ曲解をしそうです。
まとめ
「姑息」の本当の意味についてまとめてみました。
でも7割の人が誤用してるんじゃ、もーダメっぽいですよね。今さら本当の意味は広がらないんじゃ。
分かってみれば教養のある作家さんは本来の意味で使っているようですが、これに気づく人がどれぐらいいるのって思います。
下手に「姑息」を使って、いちいち説明して回るのも面倒ですしね。
かといって、「姑息な野郎だ!」とか「姑息な奴!」なんて表現は避けたいところです。
ただ論文やレポートなんかでは、かの福沢諭吉も使っているということで、読み手の実力を試す感じで使ってみるのも良いのではないでしょうか。
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